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再び煙管を口にくわえ、遙克は耳に心地よい声で語り始めた。
「舞台は天界、雲の上。御天道様とお月さんが巡る真ん中に、そりゃぁ豪勢な御殿がでんと広がってるさまを
想像してみなせえ。そこに住まうは由緒名だたる神々と、その従士であるまだ神ってのも名ばかりの精霊たち
よ。神々を束ねるのは唯一無二の存在である"天帝"、そしてその天帝には、十二人の美しい娘がいた」
遙克がもはっと吐き出した一塊の煙を指差すと、煙が意思を持ったようにうごめき、やがてくっきりと人の形を
伴って浮かび上がった。これも紫炎が言ってた煙の作用かと考えつつ、由貴はその摩訶不思議さにただ唖然
とする。人影はきらびやかな衣装をまとっていたが、顔や肌は影絵のように黒かった。顔は見る者の想像にお
まかせするということだろうか。
「そのうちの一人がこの物語の主人公だ。名を珠姫(しゅき)という。厳格な父親である天帝が、こよなく愛する
末娘だった。彼女はそりゃぁ美しかったってぇ話だ。おまけに人柄もよく、彼女の笑い声は天界に滞る闇さえも
はらった。十一人の姉たちはそんな妹を煙たがるどころか、自分たちの自慢の妹として天帝に負けず劣らず可
愛がった。珠姫は全てを与えられ、守られ、そりゃぁ極上の幸せな暮らしを送ってたんでぇ。…だが、そんな彼
女にも悩みがあった」
煙の映す映像が変わり、開け放った窓の前で珠姫がうなだれている様子が浮かんだ。
由貴たちが見つめるなか、珠姫は頻繁に窓の外を気にしていたが、何かに気づいたのかはじかれたように立
ち上がり、窓の外に両手を差し伸べた。
その腕に飛び込んだのは、窓から影のように滑り込んだ一人の青年だった。彼もまた同じように顔や肌は黒
抜きだったが、珠姫を見下ろす横顔には、凛とした誠意が溢れているように感じられた。
「彼の名は虔琉(けんりゅう)。まだ統べる世界も与えられてない神のひよっこだが、主に忠実に仕えるところ
は神々に高く評価されていた。ひょんなことで出会った二人は恋に落ちたが、一方は天帝の愛娘、それに対
する虔琉は神のはしくれ。恋仲が認められるわけがなかった。だもんで、虔琉は天帝の目を盗んでは珠姫の
部屋に忍び込み、不安で夜も眠れぬという珠姫に夜毎永遠の愛を誓ってたのさ。律儀な話じゃねぇかい」
遙克は情感こもった声で言いながらわざとらしく鼻をすすると、悪戯げに目を細めて
「この場にいる野郎ども!てめぇらもこの虔琉を見習って誠意を忘れねぇようにするんだな、じゃねぇと珠姫ほ
どの綺麗どころじゃなくとも大事なおなごを失っちまうぜ!」
そう声を張り上げた。巫女たちは一様に顔を見合わせてくすくすと肩を震わせ、臣官や衛兵たちは思うところ
があるように顔を赤らめてせきばらいをした。
「さぁて、俺も野郎のはしくれ、自分の棚上げはこのへんにしておくか」
一つ肩をすくめてもう一度笑いをとり、遙克は煙を吐き出してから語り始める。
「皆も知っての通り、神々の主なる仕事は世界を創造することだ。天帝が命じたありとあらゆる世界を形にし、
それらの世話をし、育てていく。その仕事の中で、犯してならない禁忌が三つある。
一つは、世界を他の世界と干渉させてはならない。もはや数え切れない多さになった世界が交錯したら、並々
ならぬ混乱が生じるからな。
二つ目は、世界を傷つけてはならない。どんなにできの悪い世界でも、神がそれを裁いたり壊したりすることは
固く禁じられた。
そして三つ目は、天帝の命じたもの以外の世界を創ってはならない。神々も数知れずいるんだ。そいつらが各
自好き勝手に世界を創っていったら大変なことになっちまうからな。
しかし、恐ろしいことに、珠姫と虔琉はこの三つ目の掟を破っちまったんだ」
ぐっと身を乗り出して重々しく語った遙克に、人々は思わず生唾を嚥下する。
「二人は危険を承知で禁忌を犯した。絶対に認められない自分たちの仲を疎んじて、いつか天帝の目を盗んで
逃げ込むために、二人だけの小さな世界を創り出したんだ。二人はその世界を霞でおおい、少しずつ細心の
注意を払って着手していったから、天帝はおろか、他の神々の誰一人としてそれに気づくものはいなかった。
そう…二人の計画はうまくいく、はずだったんだ」
何か不吉さを漂わす遙克の言葉を具現化するかのように、煙に映ってた二人の姿は、突如として湧き上がっ
た黒い霧にかき消されてしまった。その黒い霧に対して寒気を覚えながら、由貴は霧の中からぼうと浮かび上
がってきた人影に目を向ける。その人影は虔琉の姿に瓜二つだったが、綺麗にまとめられていた虔琉の髪に
対して彼の髪はざんばらで、その粗暴さが伺えた。
「二人の計画をぶち壊したのは、誰であろう虔琉の実の弟神である漢禍(ならか)だった。天界に問題児として
名を轟かせていた漢禍は、弟の汚名を晴らそうと誠心誠意を尽くす兄を疎んじていた。それにあろうことか、漢
禍は珠姫にひそかな恋心を抱いていたのだ。兄の秘密を知ってしまった漢禍は、二人の恋仲を妬み、天帝に
全てを話しちまった」
突然、部屋を覆う全ての煙から稲光が発された。耳をつんざく轟音に人々が悲鳴をあげるなか、遙克は一人
熱くなってきた様子でその場から立ち上がった。
「天帝はそりゃぁ激しくお怒りになった!自分の娘とはいえ、名も知れぬ年若い神と恋仲になり、あろうことか
禁忌を犯すとは!彼の怒りは天地を揺るがし、御殿の一部が倒壊するにまであたった。しかしどうしても結ば
れたかった二人は、四人の忠実な精霊の力を借りて天界から逃げ出すことにした」
ふいに、どこからともなく四色に輝く光の玉が現れて、一箇所に集まった途端真っ白い閃光を随所に放った。
人々は目をおおい顔を背けたが、光が薄れて視線を戻すと、いっせいに感嘆のため息をもらしていた。
四つの玉があわさったあたり。そこには、息を呑むほど美しい巨鳥が、虹色の翼を広げて輝いていたのだ。
鳥は紅の喉をそらして高らかに鳴くと、見事な羽を誇張するように部屋を一周し、遙克の頭上で止まった。遙
克は煙を小さく二回吐き出すと、それぞれを珠姫と虔琉の姿に変えて鳥の背中にのせた。再び鳥は悠々と部
屋を旋回する。
「精霊たちが変化した鳳凰に乗って、二人は天界をぬけ、完成を迎えていた自分たちの小さな世界に逃げ込
んだ。それこそがこの――」
遙克はゆっくりと片目をつぶる。
「"創霞国(そうかこく)"だ。この国が鳥の形をしてんのも、力尽きた鳳凰の体が大地に転じたためだと言われ
ている。
しかし、天帝が二人を見逃すはずがなかった。すぐにかれらを見つけ出し、罰を下した。でもそこは実の娘。さ
すがにその場で存在を消すことはできなかった。天帝は二人を"人間"に変えた。限りある命を持った存在に。
永遠の命をもつ彼にとって、いつか二人の間に訪れる悲しい別れはこの上ない罰にあたると思ったんだろう。
だが、それは違った。限りある命を与えられた二人はそれゆえの強さを得た。そして誓ったのだ。
『いつか死が二人を分かとうとも、絶対に生まれ変わって、貴方の前に現れる』と。
『地の果てまでも貴方を探し、いつか再びめぐり合えるまで、貴方を想い続ける』…二人はそう、固く誓ったの
だ」
「…なによ、ありがちな話じゃないっ」
馬鹿にしたように呟きながら、しかし由貴は素早く目頭をぬぐった。元来こういう話には弱かったし、遙克の
話し方は巧みで知らずに涙を誘われたのだ。見ると、巫女たちもそれぞれ袂の裾で目元をおさえていた。
「女性とはこういう話に脆いのですな」
由貴の様子を見ていたのか、紫炎が茶化すような口調でささやいてきた。由貴はそれに対してただ、じろり
と強烈なにらみを返す。
「そしていつか来る死の影に怯えることもなく、幸せに暮らし始めた二人だった…が、ここでまた漢禍の邪魔が
はいった。彼らの幸せな様子に我慢ならなかった漢禍は、怒りに任せて槍を創霞国に投げつけた。槍は大地
の真ん中に突き刺さり、漢禍の呪いである黒い霧を撒き散らし始めた。珠姫と虔琉、そして二人の子孫らは暮
らしにくくなった。その様子を見て漢禍はあざけ笑ったが、天帝の激しいお怒りを買うことになった。彼もまた、
犯してはならない禁忌――"世界を傷つけてはならない"という決まりを破ってしまったのさ」
そこで遙克は「いいざまだ」と小さく呟いた。
「天帝は漢禍の存在を消そうとしたが、それだけはやめてくれと虔琉に頼み込まれ、その願いを聞き届けた。
虔琉も甘いよなー俺だったらとっとと消しちまってくれって頼むぜ。…まぁそんなわけで、彼は漢禍を天界の特
別な木で作らせた白い舟に封じ込めた。その舟は漢禍の多大なる呪いの力を封じ、彼を永い眠りにつかせ
た。天帝は舟を創霞国の上空、槍の頂上に定めると、珠姫と虔琉にこの舟が地に降りて封印が解かれないよ
う、しかと見張っておけと命じられた。二人はその命を受けた。
すると大地に眠っていた四つの精霊が目覚め、自身が大樹となって舟を支える使命を請け負うと言い出した。
二人は涙を流して忠実な精霊たちに感謝を述べ、自分たちの子孫らに彼らを敬い崇めたてることを義務付け
た」
「そうか、だからみんな樹に祈ってたのね…」
由貴の呟きに、惣玲がしみじみとうなずく。
「左様。われらの神は珠姫と虔琉だが、彼らを常に支え続けてきた精霊たちへの感謝も、忘れてはならないの
じゃ」
由貴は納得したようにうなずいていたが、ふと何かに気づいたように動きを止めた。
「…えっ、でもちょっと待って。ってゆーことはつまり……」
訝しげな顔で惣玲を見る。
「つまり、悪鬼は漢禍ってことなの?」
「…奴の語る話によるとな」
惣玲は答えをはぐらかすようにそう返した。
「こうして、今の創霞国はあるわけだ。といってもこの物語が本当の神話かそうでないかは、誰も知らねぇわけ
だがな。しかし、よく覚えとけ」
遙克の話はそろそろ終わりに近づいているらしい。それまでよりそう珠姫と虔琉の姿を映していた煙がゆら
ぎ、だんだんと薄れ始めた。葉が燃え尽きて、もう煙を発さなくなった煙管を口から離し、遙克は深い声で言
う。
「この話が本当であってもそうでなかったとしても、天には忌々しい白い舟が存在し、四本の大樹と槍みてぇな
呪われた山がこの地に存在することは確かだ。悪鬼っつー俺たちを苦しめる存在があるって事実は変えられ
ねぇし、それと向き合わなきゃいけねぇのは俺たちのさだめ、逃げられるもんじゃねぇ。だけどな、そこで"絶望
"しちまったらおしまいだ。何もかもをあきらめるまえに、ほんのちょっとの希望を持ってみねぇ。馬鹿馬鹿しい
かもしれねぇが、このお伽話を信じてみちゃどうだ。だってよ、嬉しい話じゃねぇか、俺たちは禁忌を犯してまで
も愛し合った、二人の神の子孫なんだぜ?愛する子供たちを見捨てる親なんか、いるわけねぇ。おまけに、ぐ
っとくる話じゃねぇか」
そこで遙克は言葉をとぎらせ、その不思議なほど澄み切った瞳を聴衆全員にじっくりと向けた。彼と一瞬目
が合ったとき、由貴は彼の瞳が澄んでいる理由を知った気がした。彼の目には、何者にも消すことのできない
強い光が宿っていた。それはどんな闇をも払う、希望という名の灯火。
「人間に変えられた珠姫と虔琉は、この地で今も生の螺旋を巡っている。何度も何度も転生して、お互いを求
めて限りある生を送っている。たとえ出会えなかったとしても、あきらめずにまた会える日を夢見て精一杯生き
てんだ。はるか昔は天界できらびやかな生活を送っていた神さんが、そんな風に地ぃ這いずって生きてんだ。
俺たちがふんばらねぇでどうする!二人が出会えるその日まで、漢禍の邪魔から二人を守るのが俺たちの役
目だろう!」
遙克はそこで、喉の奥を震わせて笑った。
「信じる信じねぇかはみんなの自由さ。だけどなぁ、たとえそれがお伽話でも、信じるものをもった人間は、強い
もんだぜ?」
彼の最後の言葉が、部屋の闇に紛れて消えた煙のように人々の胸に吸い込まれ、その場を温かな沈黙が
包み、そうして、遙克の語る『創世記』は幕を閉じたのであった。
to be continued
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