1







「あーっ、面白かったしおいしかった!多少肩が凝ったけどね」
伸びをして首をこきこきと鳴らしながら、由貴が満足げな声をあげる。彼女の後ろを音もなくすり歩いていた鈴
麗は、柔らかく微笑んだ。
「宴に参加するのが初めてだったにしては上出来でしたよ。大変上品な振る舞いでした」
「白米の代えを請求したときは唖然としましたけどね」
今度は由貴の前を歩いていた紫炎が茶々をいれた。由貴はむっとしながらも、先ほどの自分の行為を思いだ
し顔を赤らめた。緊張の連続からか、ものすごい空腹を抱えていた由貴はあっという間に最初の一膳を平ら
げ、ほとんど反射的に空になったお椀を横にかしずいていた女官に「おかわり!」と突き出していたのだ。女官
からは仰天したような眼差しだけが返ってきた。
「だって仕方ないじゃない!私の世界ではあぁするのが普通なんだもの。まさかあの後でっかい動物の丸焼き
が出てくるなんて思いもしなかったわよ!」
言い返しながら、由貴は遙克の昔語りが終わった後、会場に引き出されてきた牛とも鹿ともつかぬ大きな動
物の丸焼きを思い出していた。こっちの世界では最初に出された料理一式は前菜で、その丸焼きがメインディ
ッシュということだったらしい。そしてそれを解体する役をかって出ながら、肉を剥ぎ取るたんびに自分の口に
運んで顰蹙(ひんしゅく)を買っていた遙克の姿もついでに思い出していた。
その後、みなで肉を食いつくし、会場の真ん中に白骨死体が取り残された頃、あくびを噛み殺していた由貴は
やっと退室を許されたのだった。体勢を崩さないようにしゃちほこばっていたせいで、足は痺れてるし体の節々
が悲鳴をあげている。
由貴は前を歩く紫炎に目をやった。自分から部屋までの先導役をかってでた紫炎は、会場を離れた途端暑苦
しいとでも言うように帽子をとってしまっていた。背を流れる絹のような長髪を眺めながら、由貴はためらいがち
に口を開いた。
「…ねぇ、紫炎」
「なんです」
「さっきあなたが踊ってるとき、陰口たたいてる奴らがいたわよ」
紫炎の背中は、由貴の予想通り微動だにしなかった。鈴麗が後ろで小さく息を飲むのを聞きながら、由貴は
「やっぱり…」と呟く。
「あれ聞こえてたのね」
「だからなんですか」
「だからなんですか!?あんた悔しくないの!?」
「あの程度の誹謗中傷にいちいち付き合ってたらこっちの身が持ちませんよ」
全く堪えていない様子の紫炎に、由貴はなんだか悔しくてわざと軽蔑するような目を向けた。
「とかなんとか言っちゃって、刃向かう勇気がないんでしょ!自分の立場が危うくなるのが怖いから」
「…怖い?」
紫炎はきょとんとした顔で振り向くと、ふいに心からおかしいというように声をあげて笑った。
「怖いか!考えたこともなかったな」
なんだか屈辱的な気分になって歯噛みした由貴は、廊下の先に自分にあてがわれた部屋の扉を見い出し、
足を早めて紫炎を追い越した。それをとっさに、紫炎が止めようとする。
「お待ちください、"巫女"殿」
由貴の足がぴたりと止まった。
ゆっくり振り返りながら、「今なんて呼んだ?」と乾いた声で尋ねる。紫炎は動揺したように口ごもった。
「ですから…巫女殿、と」
「誰が巫女よ!私はそんなもんになった覚えないわよ!」
「別にそんな怒らなくてもいいでしょう。詩歌が歌えるなら立派な巫女です」
「いーえ、違うわ。あんたの言ってる巫女は"この国を助けてくれる巫女"のことよ」
紫炎がぐっと言葉につまるのを見て、由貴は鼻をならした。
「ほーらね。大体、あんたたちは卑怯よ!あんな宴で大々的に私のこと公にして、あれじゃぁみんな、私がこの
世界を救ってくれるもんだと思い込んじゃうじゃない!言っとくけど、まだ私は力を貸すとは言ってないわよ」
「あ…貴女は沢山の人を救える力を持ちながら、それを使わず傍観すると言うんですか!それは見殺しも同じ
ですよ!」
「紫炎…」
憤った口調で言う紫炎を鈴麗が慌ててなだめようとするが、彼の勢いは止まらなかった。
「確かに、貴女を無理矢理連れてきてしまったのは悪かったと思っています。そのせいで私たちに警戒心を抱
かせてしまったのなら、それは私の責任ですから…謝ります。しかし、私たちは全面的に貴女を保護するつも
りです。貴女はただ、その歌の力を私たちに貸してくれるだけでいいんですよ」
由貴は眉間にシワを寄せて紫炎をみやった。真剣な表情で由貴を見つめ返す彼の漆黒の瞳は、真摯な光を
称えていた。
由貴は視線をそらし、不機嫌な声をあげる。
「考えが甘いのよあんたは!っていうかそれが人にものを頼む態度!?お願いの言葉はどこいっちゃったのかし
ら〜?」
紫炎はぴくりと眉をはねあげたものの、感情を圧し殺した顔で頭を下げた。
「どうか…お願いします。貴女の力を貸してください」
「よくできました!」
にこにこと満面の笑みを浮かべた由貴に紫炎は期待するような目を向けたが、彼女は「でもね」と話を続けた。
「やっぱり、私はい・や!そんな危険そうな旅に出るのなんかまっぴらごめんよ。それで怪我して死んじゃった
ら元も子もないもの。悪いけど自分達でなんとかして」
「貴女を危険な目にはあわせません」
また憤って紫炎が声をあらげるだろうと予想していた由貴は、彼の声が思いの外柔らかいことに驚いて顔をあ
げた。目に入った彼の表情は、言葉では言い表せないものだった。
瞳に不思議な光を称え、紫炎は尚もいい募る。
「協力してくれるなら、貴女には何者にも指一本触れさせません」
由貴は彼の真摯な態度に驚いたが、やはり頑なにつっぱねた。
「そんな言葉、信じられるわけないでしょ!?どうして私が無事でいられるって保証できんのよ。私はしばらく、そ
の時空のなんちゃらが開いて帰れるようになるまでまで、ここにいさせてもらうわ」
「…貴女という人は――」
「追い出すって脅されても信じないわよ。結局あんた達は私が必要なんだものね。死なせることなんかできな
いでしょ」
自信満々で言う由貴を紫炎は腹立たしい様子で眺めていたが、ふと妖しげに目を細めた。
「それでも、死なせない程度に過酷な場所にお送りするかもしれませんよ。貴女を護ってくれる人の誰もいな
い、厳しい仕事場にでも。働かざるもの食うべからずですからね」
由貴は紫炎を睨み付け、二人はしばし無言のまま対峙した。
最初にその沈黙をやぶったのは、由貴のほうだった。
「そんなことできないわ」
勝ち誇ったように笑って、そう言い切る。紫炎はいぶかしげな顔をした。
「なぜです」
「惣玲さんがそんなことさせないわよ。私を見たときの惣玲さんの顔といったら…自分の愛娘そっくりのあたし
を、果たしてそんなとこに送りつけられるかしら?」
「由貴殿、なんてことを…」
鈴麗がはっと由貴を凝視する。しかし紫炎は、身動ぎもせずただじっと由貴を見つめていた。言い返せないだ
ろうとばかりに胸を張っていた由貴は、わずかに変化した彼の表情に笑みをかき消した。
一瞬、彼はどこか遠く、由貴を通り越してどこか遠くを儚げにみやって、そして、傷ついたような顔を見せたの
だ。まるでちらりと見えた幻に、拒絶されたように。
紫炎はきびすを返すと、低い声で「救いようのない…」と言い捨て、二人に背を向け足早に去っていった。その
背を見送りながら、由貴は今の動揺を押し隠すように声を荒げた。
「なっ、なんなのよ今のは!言い返せないからって逃げてんじゃないわよバーカ!」
「由貴殿!もうおやめください、なぜそうも紫炎につっかかるのですか?」
鈴麗が慌てて由貴の振り上げた腕を捉える。由貴は鈴麗から顔をそらすと、ばつが悪そうに吐き捨てた。
「あいつがムカつくからよっ、あたしをさらったくせに『助けた』だとか言って恩着せがましいわ、危険なことを強
要させようとするわ、なんかえらそーだわ!」
「そんなことをおっしゃらないでください。彼はただ、この国を救おうと必死になっているだけなのです」
鈴麗の弁護にも由貴は取り合おうとはせず、ふいっと顔を背けて廊下を進んだ。扉の前には、二人の衛兵が
槍を片手に佇んでいた。
お香をたいたのか、部屋の中は甘く眠りを誘う香りが仄かな煙りと共に漂っていた。由貴はとたんに逆らいが
たい眠気を感じ、寝台に直行する。
「由貴殿。こちらに着替えてからお休みください」
しかし鈴麗から白い寝巻きを差し出され、由貴はしぶしぶそれを受け取って着替え始めた。重い装束を脱ぐの
を鈴麗に手伝ってもらいながら、由貴はちらりと彼女の顔を盗み見て、その顔が暗く沈んでいるのを見ると項
垂れた。今更ながら、この国を見棄てるような発言をしたことに罪悪感を覚えたのだ。
(でもいきなりあんなこと言われても困るわよ!そりゃここの人達は可哀想だと思うけど、だからって自分が危
険な目にあってまでも助けたいだなんて思わない。ほいほい助けに行くのはゲームか物語の主人公だけ
よ!)
そんなことを考えていた由貴は、鈴麗がおずおずと話し掛けていることに気付かなかった。
「――だけでも施してはいただけませんか?…由貴殿?」
「…………」
「由貴殿!」
「へっ?あ、あぁごめんなさい鈴麗。聞いてなかったわ。何?」
「その…僭越だとは思うのですが」
鈴麗はためらうように目を伏せたが、次いでせつなげな表情で由貴の目を真っ直ぐ見つめてきた。
「"靈返し"だけでも、施してはくださいませんか?」
「たましい返し?」
鈴麗の表情にどきりとしながら、由貴は聞きなれない言葉を反芻していた。そういえば、惣玲が歴史について
説明してくれたときにそんな言葉を聞いた気がする。
鈴麗はうなずいて、寝間着に着替えた由貴に寝台に座るよう促した。大人しく腰かけた由貴の前に、鈴麗は
椅子を引いてきて腰を下ろし、幼い子に絵本を読み聞かすような口調で話し始めた。
「森羅万象、全ての生命には精霊がそれぞれ宿っています」
「へぇ〜初耳」
「由貴殿、口を挟まないで下さい。…この大地に根をはり、白い舟を支えている五本の大樹にも偉大なる精霊
が宿っています。私たちの神である虔琉と珠姫に忠実に仕えた四人の精霊と、漢禍の放った槍に宿る悪しき
精霊。それら精霊の眠る繭を、私たちは"靈(たましい)"と呼びます」
「繭って…なんか、虫みたいね」
 思うがままに呟いた由貴は、鈴麗にじろりと睨まれ口をつぐんだ。
「靈を抜き取られるということは、彼ら精霊を奪われるのと同じこと。精霊を失って空になった大樹は、白い舟を
支える力をなくしてしまうのです」
「あーそうそう、惣玲さんも確かそんなこと言ってた」
「そしてそれと同時に」
 由貴を遮るように口調を強め、鈴麗はゆっくりと言葉を紡ぐ。
「靈を失った大樹は、街を妖魔などから守る術を失うのです」
「え?木がどうやって街を守るのよ」
 訳が判らないといった様子の由貴に、鈴麗は逆に面食らったような顔をした。
「大樹のご加護がなければ、何処にいようと心休まるときはありません。由貴殿のいた世界はどうして大樹な
しに成り立っていたのですか?」
「うーん…」
 答えることもできず黙り込みながら、由貴は"ご加護"という言葉に反応していた。
(つまり、ここじゃぁ木がカミサマ代わりなのね。とりあえず、"靈返し"っていう儀式を私がやってあげれば、み
んな安心するってことでしょ?まぁ、儀式くらい、どうってことないか。さすがに何もしないってのも罪悪感感じる
し)
 由貴がそんなことを考えているとは露知らず、鈴麗は真剣な顔で頼み込んでいた。
「お願いします、大樹の靈の不在をかぎつけ、今大森帝界の郊外に妖魔が頻繁に現れています。街が襲われ
るのもそう遠くないでしょう。五本全てとは言いません、せめてこの街の大樹だけでも助けてはもらえないでし
ょうか?」
「…で、私は何すればいいわけ?」
 ふと顔をあげて質問した由貴に、鈴麗は一瞬硬直し、直後顔を輝かせて答えた。
「歌を…詩歌を詠唱してくださるだけでいいんです!」
「歌うだけ?なーんだ、簡単じゃない。それくらいならお安い御用よ」
 調子こいてウインクしてみせた由貴に、鈴麗は言葉にならないほどの喜びに身を震わせ、涙を流しながら額
を床にこすりつけた。
「有難うございます!本当に助かります!どんなに…どんなに感謝の言葉をつくしても足りません…!」
「お、大げさだなぁ。そんなに頭下げないでよ、そんな大それたことするわけでもないのに」
 やや困惑気味に頭をかき、由貴は笑って鈴麗の肩をつかんだ。しかし、顔をあげた鈴麗の目を直視した途
端、笑みをかき消す。
「わかっておりません…由貴殿。貴女がどれほど、この街の命を救うことになるのか。貴女が、どれほど待ち
焦がれていた私たちの希望なのか。この街の…この世界の惨状がどれほど酷いものかも、貴女は知らない」
 由貴は慌てて視線をそらした。先ほど自分が考えていたことが、恐ろしく愚かで、浅はかなものに感じられた
のだ。
 鈴麗はそんな由貴の横顔を静かに見つめていたが、やがて音もなく立ち上がり、優雅な一礼を残すと部屋を
後にした。
 残された由貴は、ただ胸にわだかまる黒い思念を吐き出すように、呟く。
「ここがどんな酷い状況か、ですって?もちろん知らないわよ。興味もない。私はただ、早く自分の居場所に戻
りたいだけ…」
 "居場所"?
 由貴は喉を詰まらせたように言葉をとぎらせた。半端に開いていた唇が歪み、自嘲の笑みを漏らす。
「そうか…私の居場所なんて、なかったんだっけ。それでも、帰りたいっての?」
 答える者はいるはずもなく。由貴はぼんやりと、丸窓の向こうに見える見慣れない月を眺めていた。




















トップへ 戻る 前へ 次へ