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 それは突然の出来事だった。皆あらかた食べ終わり、穏やかに談笑する声だけがしていた会場の空気
が、突如響き渡った大音響と巫女たちの放った悲鳴によって破られた。
「な、なに!?」
 まだ箸に手をつけていた由貴は、慌てて食器から顔をあげ、ものすごい音のした天井を見やった。まるで巨
人がこの会場の天井をハンマーで叩き壊そうとしているかのような音が鳴り響いている。
 と思った次の瞬間、本当に天井が崩れ落ち、砂埃をもうもうとたちあげて瓦礫が会場の真ん中に降り注いで
きた。臣官達がすっかり取り乱して舞台から走り去る中、紫炎だけは何の迷いもなく由貴のもとに駆けつけ、
瓦礫が由貴に当たらないようかばう体制になった。
 幸い、瓦礫はもとから空いていた舞台のど真ん中に落ちてきたため、誰を傷つけることもなかった。舞台上
にいた人々にわずかな砂埃がふりかかっただけだ。
「いったいなんなの!?」
 声をひきつらせて由貴が叫ぶのと、惣玲がやれやれといった様子で「来よったわい」呟いたのはほぼ同時
だった。
 天井に穿たれた、人一人がやっとこさ通れるほどの穴。そこから今度は、なにやら人影らしきものが通り抜
けてきた。あまりの驚きに息もつけない人々が凝視するなか、人影は軽やかに舞台の真ん中に着地すると、
ぱんぱんとひざのほこりをはらい、ふぅ、と満足げな息を吐いた。
「いやー滑り込み成功!どうやら宴に間に合ったみてぇだな!」
 そのざっくばらんな口調と、砂埃が晴れてくっきりと見るようになった人影とを見て、由貴は言葉もなく目を点
にした。
瓦礫の山の上に堂々と立っていたのは、壮年の頭を丸めた大柄な男だった。見上げる巨体は、そこまで厳つ
くはなくとも、十分引き締まっていてたくましい。しかしそれに対して彼の目はいたずら小僧のようなあどけな
さをたたえていて、由貴はなぜだか親しみを覚えた。ちょっと強面のお坊さん、もしくは人のよさそうなやくざの
端くれ、といった感じだ。
「なんだぁ、どいつもこいつも間の抜けた面しやがって。そこまで逃げる必要ないだろうが!全く意気地のない
奴ばかりだ」
 謎の男は会場をぐるりと見渡し、壁際にへばりついている臣官達を見てふんと鼻をならした。そして惣玲を
目に留めると、なんとも気さくに手を挙げて満面の笑みを浮かべた。
「よぉ、惣玲!だいぶ後れちまったみたいだな。まだ俺用の夕餉は残ってるかい?」
 と、それまで瓦礫が落ちてきても身じろぎもせず鎮座していた惣玲が、ゆっくりと立ち上がって謎の男に歩
み寄った。近づいている惣玲を見て、ひたすらうれしそうに男は話を続ける。
「お前もしばらく見ねぇ間に老けたなぁ。まぁ、そりゃお互い様か。積もりに積もってる土産話は後で酒でも酌
み交わしながらするとして、おい、例の少女はどこにいるんだよ?」
わくわくと目を輝かせて男が言うが、惣玲は無言でゆっくり歩み寄ってくる。男は返事がかえってこないことに
疑問をもったように眉をひそめた。
「なぁ、おい、きいてんのか?例の少女は――」
「黙れこの痴れ者が!」
 男の物怖じしない口を閉ざしたのは、惣玲の繰り出した鮮やかな手刀だった。皇帝自らの制裁に、硬直して
いた人々がどよめく。
手加減なしの一撃を額に食らい、さすがに男はひるんだようだった。
「な、なんでぇ。何怒ってやがるんだ」
「…おぬしに常識を望むことはとうの昔にあきらめたが、どうして普通に部屋に入って来れないのだ!?天井は
やめろとあれほど言うたであろう!」
「だから言ったじゃねぇか。俺は城に一歩入ったが最後、迷っちまって到底この部屋なんかには辿り着けない
から、早道してるだけだって」
「だから何故にそこで天井を破る必要がある!?」
 惣玲の必死な問いかけにも、男はまるで応えない様子でへらりと笑ってみせた。
「皇帝のくせに言うことちまっちいんだからよ、おめぇは。普通に登場すんのがつまんねぇからに決まってんだ
ろ?」
 ――まるでのれんに腕押しである。惣玲は諦めた様にため息をつき、後ろでぽかんと口を開けて男を凝視し
ている由貴を振り返って言った。
「驚かせてすまぬな、由貴殿。これ――いや、この男が先ほど言っていた紅遙克じゃ。しかし先ほどの言葉は
一部撤回させていただく。こやつは国一番の痴れ者じゃ!」
 ずびしぃっと再び惣玲の手刀が紅遙克の腹にめり込む。とその瞬間、なぜか会場内が人々の笑い声で沸い
た。
「これじゃよ、これ!この二人の掛け合いが見たかったのじゃ」
「相変わらず息もぴったりなことで!」
「いつ見ても惣皇の変わりようには驚かされますわ!」
 ちらほらと聞こえてくる人々の言葉に、由貴は先ほど人々が紅遙克の名を聞いて歓喜したわけを知った気
がした。彼がここに飛び込んできた途端に、会場の厳しい雰囲気が一変して和やかになった。位に関係なく
隣の人と笑い合う彼らは、どこか今の状況を待ち望んでいたように見える。
しかし、あの男性はいったいどんな人物なのだろう。紫炎の肩越しに紅遙克を眺めながら、由貴は内心首を
かしげた。
皇帝である惣玲相手にため口だし、天井を突き破って登場するなどという非常識な行為をしでかしても誰もそ
の責任を追求しようとはしない。みな呆れてはいるが、なぜか慣れたことのように苦笑いしているだけだ。
(もしかしてこのおじさん、すっごい偉い人なのかしら)
そうは思いながらも、由貴は彼の浮浪者のような汚らしい格好を見て訝しげな顔をさらに歪めた。
(全然そんな風に見えないけど)
ふと、首を巡らしていた紅遙克が紫炎の背後にいる由貴に気付いた。
「おい、惣玲。もしかしてあの子が…」
瞳を輝かせながらずかずかと歩み寄ってくる紅遙克にぎょっとして、由貴は思わず紫炎の背中にかじりつい
た。肩に爪をたてられた紫炎が顔をしかめる。
「そう、彼女こそが晃燿の巫女の再来たる少女、南雲由貴殿だ」
惣玲がそう厳かに返事をすると、遙克は気を静めるかのようにゆっくり息を吸い込み、由貴をひたと見据えて
歩み寄った。紫炎が無言で由貴を前に押し出し、遙克に差し出した。彼の見上げるような巨体に圧倒されて
由貴は後退りしかかったが、彼の瞳を覗き込んだ途端足を止めた。遙克の驚くほど澄んだ瞳は、微かに潤ん
でいた。
「待ってたぜ、お嬢ちゃん」
低くよく通る声で呟き、たくましい両手を由貴の肩に掛ける。彼の手が震えているのに気付いたのは、おそら
く由貴だけだろう。由貴がなんと答えていいか戸惑っているうちに、遙克は騒々しい音を立てて鼻をすすり、
両手を離した。
「やっぱ、よく似てるな」
ほほ笑みを浮かべながら遙克の呟いた言葉に、由貴は我知らず胸に微かな痛みが走るのを感じた。彼もま
た、自分を通り越してどこか遠いところを見ている―そう痛切に感じたのだ。
惣玲がそんな遙克に歩み寄り、気遣うように彼の小山のごとく盛り上がった肩を叩いた。
「…さて、騒ぎがおさまったところで宴を再開しようかの。皆も」
と未だ入り乱れている会場を見渡し、惣玲は苦笑した。
「驚かせてしまって申し訳なかった。今一度座敷に戻っていただきたい。この人騒がせな御仁がお詫びに座
興を興じてくださるそうだ」
ちゃかした口調でそう言い意味ありげな視線を投げてきた惣玲に、遙克は照れ臭そうに舌打ちして艶やかな
頭をなでながら舞台の中心―未だ積みあがっている瓦礫の山にあぐらをかいた。
「仕方ねぇ、面倒な小細工は使わねぇつもりだったが、宴の最中に飛び込んで興醒めさせちまったしな。それ
なりに詫びをいれさせてもらいてぇ」
そう言うと、遙克は無造作に懐から煙管を取出し、口端にくわえてにやっと獣じみた笑みを浮かべ、朗々と響
き渡る声で宣った。
「さぁ、皆々様、耳の穴はあたりめぇ、ついでに目ん玉見張って堪能してくだせぇ。語らしてもらうはこの霞に覆
われた創霞国の、美しくも悲しい"創界記"でござぁい!」
途端に、人々は一斉に居住まいを正して、口調ががらりと変わった彼に注視するのだった。











 遙克が命じて明かりを消された会場は、しんと重みのある闇に包まれ、唯一の光源である天井の穴から注
ぐ月光が、遙克ただ一人に当てられている。自然人々の注目が集まる中、遙克はすぐに語りだそうとはせず
に、のんびり煙管をふかしていた。なんの葉をつめているのか、彼の吐き出す煙はまるで生きもののように妙
な質感があり、ゆっくりと宙を漂っては何色ともつかない不思議な光沢を発していた。
煙は遙克が無言でふかしていくごとに、まるで霞のように会場全体を包み込んでいった。煙を吸い込んだ者
達の目がとろんと夢見ごこちに揺らぐことに気付いているのは、遙克一人のみか。
皆の表情を一通り見渡すと、遙克はやっと煙管を口から離して語りはじめた。
「この世は、もとは但ただ混沌とした闇だった。息づくものは無く、天津さえこの世の果てを照らす光までもな
かった。そこに在ったのは神という強い意志の肖像であり、彼らをとりまく闇のみであった」
なぜか彼は気のない口調でそう語って、ほぅと退屈そうなため息を一つついた。
「そして神は光を作り出し、土台を築いて世界を現し、自身の姿に似せた生きものをお造りになった。彼らはよ
りよく生きるために言の葉の理を解し、操る術を学んだ。人(じん)と呼ばれるようになる彼らは、神の恩恵の
もといや数を増していった」
そこまで話し、一息入れた遥克をぼんやりと半ば夢現つのような気分で眺めながら、由貴はそのような話をど
こかで聞いたことがある、と思った。少ししてからはたと気付いた。今のはまるで、キリスト教の創世紀のよう
ではないか。
遥克は相変わらず身の入らない表情で煙管の灰を落とし、話を続けた。
「世界はまだ固まっておらず人の急増に耐えかねて不安定だったので、神は世界に五本の神樹を支柱として
お植えになった。それぞれの樹に役割をお与えになり、各樹に集った人を統率するよう命を吹き込み、人には
神樹を崇めるよう義務付けた。人達の区域を分け、大樹を守ることに専念させることによって人達の間の争い
を防止したのだ。そして人達は…」
しかし、遥克はそこで口をつぐむと、何が気に入らなかったのかどこか苛々した口調で「やめたやめた!」と首
を振った。
彼の態度の豹変ぶりに訝しげな顔をした由貴だったが、気のせいか周りからはおかしさを噛み殺すような忍
び笑いが漏れ聞こえてきている。
「さて、これが皆の熟知しているところの"創世紀"だが……なぁおい、あまりにもつまらねぇ話だとは思わね
ぇか?」
遥克のあけっぴろな問い掛けに、由貴は思わず目を剥いた。曲がりなりにも自国の創世紀を"つまらない"と
言い捨ててしまうあたりどうだろう。しかし人々はその問いを聞くと、待ってましたとばかりに首を縦に振った。
遥克は先程までの様子と一変して、目を輝かせながら立ち上がった。
「創世紀が求めてるのはこんな陳腐な薄っぺらい話なのか?見栄ばかりはって仰々しくなっちまった、真実味
もなけりゃ芸術感のかけらもない話なのか?いや違う!」
ここで気分が盛り上がってきたのか、遥克は腕を振り上げて拳を固めた。
「創世紀が求めているのは浪漫だ!自分達の世界が創られたもっともらしい経過じゃぁなく、創られた理由を
求めているんだ!そこんとこわかってないこの創世紀は、夢も希望もあったもんじゃねぇ。嘆かわしいよなぁ、
まったく。…だが!」
もはや笑いを抑え切れず肩を震わせている人々をぐるりと見回し、遥克は再びあの獣じみた笑みをひらめか
せ、床が振動するほどの大声をとどろかせた。
「俺の創世紀は退屈させないぜ!」
そして遥克がこぶしを開いて大げさに振り下ろした瞬間、辺りを霧のように覆っていた紫煙が揺らいだと思う
と、人々が一斉にあげた歓声に吹き上げられるようにして、まるでホログラムのように鮮明な映像が浮かび上
がってきた。
この城にも勝る煌びやかな装飾の宮殿。それを囲むように広がる、名も知らぬ樹木に美の集合体とも言える
可憐な花々。舞う花弁でさえも手を伸ばせば掴めそうな鮮やかさで煙の中にあらわれ、由貴はいきなり自分
達が見知らぬ土地に瞬間移動したような錯覚を覚えていた。まるで突如として映画のなかに入ってしまった
ような感じだ。
そんな光景を前にして声もなく驚いている由貴に、紫炎が苦笑を漏らしつつ耳打ちする。
「これが遥師官の十八番なんです。昔からある物語や神話を、自分の好きに作り替えて語って聞かせるの
が」
「い、いいのそんなことして!?っていうかその前にこの煙はなんなの!なんでこんなはっきり映像が映って
るの!?」
「あぁ、これは幻樹の葉の煙だからですよ。師官が煙管につめているのでしょう。大丈夫、この景色は単に煙
が私たちの視覚を支配して見せている幻覚ですから」
いやむしろそれって麻薬っぽくてやばいんじゃ…と思いつつ、由貴は遥克に注意を向けた。




















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