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「さて、では先ほどの話に戻ろうかの。
 悪鬼に長年にわたって虐げられてきた我々だったが、ついに、奴を完全に封じ込める白い舟を造り上げた。
そして それを五本の大樹によって上空に繋ぎ止めておくことを考えた。それからさらに何年ものときを越え、
何人もの尊い 命を犠牲にして、とうとう悪鬼を捕らえることができたのだ」
惣玲はそこでほっと息をついた。
「こう言ってしまえば大したことではないように感じられるが…あの地獄のような争いの日々の、なんと長かっ
たこと  よ。
 それから数年は、夢のような平和な暮らしが続いた。争いに疲れ果てていた人々も活気を取り戻しはじめ、
国は再 び豊かになった。しかしだ」
惣玲の顔が、俄かにやり場のない怒りに歪んだ。
「自分の力に魅せられた愚かな呪術者が、五本の大樹から魂を抜き取ってしまったのだ!」
「魂を、抜き取る?」
 その表現にぞっとした顔の由貴に対して、惣玲はしごく真面目な顔でうなずく。
「そのままの意味じゃ。高度な呪術者とでもなると、生き物の魂だけを抜き取り、その対象物を"生きる屍"と
変える  ことが可能なのだ。
 魂を無くしただの抜け殻と化した大樹は、白い舟を支えるすべを無くし、白い舟はゆっくりとだが着実に陸地
への降 下を始めた。再び悪鬼に支配されるかもしれない恐怖に人々はおののき、我々も、必死で対抗策を
練った。そし  て、我々は大樹に魂を還す歌を見つけ出した。そこで、当時最も優秀だった巫女を派遣し、五
本の大樹の魂還しを 命じたのだ」
 惣玲はそこでふと口を閉ざし、由貴の顔をまじまじと見つめた。その視線にどぎまぎとしつつ、由貴は彼の
瞳が、自分を通り抜けてどこか遠くを見つめているように感じていた。
ふと、由貴はもう一つの視線を感じた気がして部屋の隅に視線を投げた。しかし紫炎はぐったりと壁に身をも
たせかけ、首をうなだれていて、どうやら寝ているようだ。
彼の態度に眉をひそめつつ、由貴は惣玲に視線を戻す。
「それで、その巫女は白い舟を止められたんですか?」
「…あぁ。彼女は五本の大樹全てに魂を呼び覚まし、見事白い舟を上空に送り返すことができた。…しかし」
 惣玲は何か言いかけたが、思い直したように口をつぐみ、微かに首を振った。
「…そして国には再び平和が戻った。妖魔の数もぐっと減り、生活を荒らす存在もなく、人々は伸び伸びと暮ら
すことができた。だが、それも長くは続かなかった」
 由貴に背中を向けて、惣玲はしばらくだまりこんでいた。その小柄な背中に、由貴は深い哀愁が漂っている
のを感じた。
「つい最近、再び大樹が何者かに魂を抜かれた。今、白い舟は着実にこの地に近づきつつある」
 振り返った惣玲に、由貴は呆然とした顔を向けた。自分が助けられた理由が、なんとなくわかった気がした
のだ。しかしそれは途方もない考えだった。
 果たして、惣玲は懇願するような瞳で由貴に言った。
「由貴。そなたをここに招いたのは他でもない。そなたのその歌の力が必要なのだ。どうか、五本の大樹の魂
を、歌の力によって蘇らせてほしい」
「…えぇ!?」
 なんとなく想像していた台詞に、しかし由貴は素っ頓狂な声をあげていた。
「何言ってるんですか!?あたし…あたしはただの女子高生よ!そんじょそこらにいる普通の!歌の力とか、そ
んなの知らない!そんなわけわかんないこと頼まれても――」
「頼んでいるのではありません。貴方に選択の余地はない」
 突然、寝ていたはずの紫炎の声が後ろから聞こえてきた。憤慨した顔で振り返った由貴に、彼の底知れな
い闇をたたえた瞳がじっと注がれる。
「私たちは貴方を親切で助けたわけではない。死なれては困る要素を持ったお方だったから助けた。しかし、
貴方が私たちに協力せず、この国を救えるその力を否定するというのなら、私たちが貴方を保護する必要性
はまるでない」
「紫炎、なんてことを申す!口を慎め!」
 惣玲がものすごい剣幕で怒鳴るが、紫炎は頑なに口を引き結んで由貴を見つめている。
「…なに、それは。あたしを脅してるの?」
 由貴が怒りに震える声で尋ねても、やはり紫炎は何も言わずにこちらを見ているだけ。惣玲が大きなため息
を吐き出し、無言で紫炎とにらみ合う由貴の肩を叩いた。
「すまぬ、由貴。紫炎はわが国のことを想うあまりにちと焦っておるのだ。もともと短絡思考なところがある故、
今のような失言も多々ある。どうか見逃してもらいたい」
「惣玲殿、私は…!」
 抗議の声をあげかけた紫炎は、しかし鷹のように鋭い惣玲のまなざしに射すくめられた。しぶしぶ黙った紫
炎に嘆息しつつ、惣玲は由貴に向き直って恭しく一礼した。
「いきなりこんな申し出をしてすまない。そなたはまだこの国に慣れていないというのに、わしも性急過ぎた。
まだ時間はある。ここでしばし寛いで、まずはここに慣れていって欲しい。部屋従属の女官がそなたの世話を
する。何かわからないことがあったら彼女達に尋ねるがよい」
とその時、廊下のほうから一人の女性が部屋に入ってきて、惣玲に頭を下げながら「そろそろ支度のお時間
です」と綺麗な声音で言った。惣玲はそれに対して目礼し、由貴に視線をもどす。
「ではわしはこれにて失礼する。また後程会おう」
惣玲は最後にもう一度紫炎をじろりと一瞥すると、部屋を出ていこうとした。その背中に、由貴はあわてて声を
かける。
「あの、惣玲さん!どうして、あたしにそんな力があるって断言できるんですか?」
 振り返った惣玲に、由貴は隠しきれない不安を口にした。
「あたしは、何度も言うようですけど別になんの能力も持ってないんです!そんな、この世界なんかを救えるよ
うな能力は何も…」
「何を言うておる。そなたはもうすでに、その力を一度使ったのだぞ」
 しかし、惣玲の答えは思いもよらないものだった。きょとんとした顔の由貴に、惣玲は優しく微笑む。
「紫炎から聞いた。黒霧のたちこめるそなたの世界で、歌を詠唱したらしいではないか。身の程知らずな行為
だが、妖魔がそなたの居場所を突き止めたのは、他でもない、そなたの歌が本物だからだ」
「あれが…」
 由貴は、昨夜ベランダであの不思議な歌を詠ったときの、言葉にできない高揚感を鮮明に思い出していた。
今までに感じたことのない、その歌への魅惑と悦び。
「あれが私の、歌の力…?」
「あぁ。彼の話によると、そなたの歌は壮絶に力強く、美しかったようだな。わしも是非、そなたの歌を拝聴し
たいものだ」
 由貴は素早く紫炎を見たが、目が合った途端あからさまに視線をそらされてしまった。
惣玲はその様子に小さく笑い、ふと真面目な顔に戻って由貴を見据えた。
「由貴、一つ教えておく。我々がそなたの力の有無に疑問を抱かないのは、確たる理由があるのだ。そなた
が紛れもなく、『晃耀の巫女』の再来だという理由が」
「晃耀の、巫女?」
「先ほど話した、五本の大樹に魂還しの歌を授けた巫女じゃ」
 惣玲は、そっと寂しそうな微笑を浮かべた。
「わしの娘だった」
「えっ…?」
 しかし由貴がなんと言っていいか迷っているうちに、惣玲は踵を返して部屋を出て行ってしまった。とり残さ
れた二人は、気まずい沈黙を背負ったまま彼の背中を見送る。
やがて、紫炎が立ち上がって由貴に手を差し伸べた。
「部屋にお連れします」
「…ふんっ」
 しかし由貴はあからさまに鼻を鳴らして、彼の手を払いのけた。肩をいからせて彼に背を向け、はしごを降り
てさっさと部屋を後にする。紫炎はそんな彼女を無表情で見下ろしていたが、長い睫毛を伏せて小さく自嘲す
るかのように唇をゆがめると、彼女の後を追って部屋を出た。
「言っておくけど、あたしはあんたの脅しなんか怖くもなんともないわ」
 しばらく無言で廊下を並んで歩いていた二人の沈黙を破ったのは、由貴の怒りをふくんだ声だった。眉をあ
げてそれに応える紫炎を、立ち止まった由貴は正面から睨みつける。
「あんなの、ただの強がりじゃない!わざわざ違う世界にまで足を運ぶくらいだもの、他にその白い舟っていう
のを止められる方法はないんでしょ?あたしが死んだら、一番困るのはあんたたちよ!あたしには握られる弱
みなんて一つもないんだから!」
 そこまで一気に怒鳴り散らした由貴に、紫炎は引きつった笑みを向けた。
「なかなか思い通りにはいかないお人だ」
「当たり前でしょ!?あたしは他人に何かを強要されるのが大っ嫌いなのよ!」
 由貴の辛辣な言葉に、しかし紫炎はなぜか声をあげて笑った。「何よ!」とさらに憤慨する由貴に、紫炎は
どこか面白そうに言う。
「貴方は実にわかりやすいお人ですな」
「は?馬鹿にしてんの!?」
「いえいえ、そういう性格のほうがいいという話ですよ」
 紫炎はとりつくろった口調で言うと、すぐにまた元の無表情に戻って由貴の前に進み出た。
「早々に部屋に戻らないと。準備には大分時間がかかりそうですから」










 部屋に戻るとすぐ、紫炎は先ほど由貴の着付けを手伝った女性たちに何か指示を与え始めた。あの女性た
ちが、惣玲の言っていた女官達だろう。しかし由貴はというと、彼らの様子には目もくれず、何か思い悩んだ
様子で寝台に腰掛けていた。
(あたしが、なんとかの巫女の生まれ変わり?なにそれ、なんで別の世界なのに生まれ変われるわけ?だい
たい、なんであたしが生まれ変わりだって断言できるの、なんの証拠があってそんな――)
 ふいに由貴の脳裏に浮かんだのは、あの泉に映った自分の顔にシンクロしていた、青緑色の瞳の少女だっ
た。それと、廊下ですれ違った人々の、驚愕に歪んだ顔。
(その巫女って、もしかしてあたしに似てたのかな…)
 思案にふけっている由貴の肩に、そっと手が置かれた。驚いて振り返った先には、先ほどこの部屋を出ると
きに笑いかけてくれたあの柔和な顔の女性が、何か言いたそうな様子でこちらを見ていた。
「なんですか?」
 慌てて立ち上がる由貴に無言の笑みを返すと、彼女は由貴の手をとって、部屋の隅にたてかけてある鏡台
の前に座らせた。緊張に身を固くしている由貴の長い髪を手にとり、小首をかしげて何か思案しているよう
だ。
「鈴麗(れいり)、後を頼んだぞ」
 彼女に親しげに声をかけたのは、女官たちへ指示を与え終わった紫炎だった。由貴にも視線を向け、急に
恭しい態度で頭を下げる。
「では後ほど宴の席で」
 手短にそれだけ言うと、紫炎はそそくさと部屋を出て行った。数人の女官と共に部屋にとり残された由貴
は、目の前の鏡に映っている、鈴麗と呼ばれた女官をじっと見た。
 漆黒の髪を複雑な形に結い、深い藍色の襦袢を着た彼女は、清廉な美を備えていた。
「あの、すみません」
 遠慮がちに話しかけてみるが、女性はちらりと鏡の中の由貴を見たものの口を開こうとしない。しかしどうし
てもこの女性と会話したくて、由貴は首をめぐらして女性を振り返った。
「あの、ここでは会話が禁止されてるんですか?」
 由貴の問いに、女性は少し戸惑った顔で小さくうなずいた。由貴は扉が閉まっているのを確認すると、いた
ずらっぽい目つきで部屋にいる女官たちを見回した。
「でも黙ってるのって、きっと精神的によくないと思うんですよね。それにここ、別に監視されてるわけじゃない
でしょ?しゃべっても別にばれないですよ」
 それでも戸惑ったように互いに顔を見合わせている彼女たちを見て、由貴は自然なしぐさで片目をつぶる。
「それでも、皆さんが黙ってるほうが好きなら別ですけど。あたしは大勢でおしゃべりするほうが好きだなぁ」
 由貴の屈託のない言動に、女官たちはころころと声をあげて笑った。
「気分を害されたら申し訳ありません。ここでは女官がお仕えする御方と言葉を交えることは、その方の身分
を汚すとして固く禁じられているものですから」
由貴の髪を持つ女官が、もともと下がり気味の眉をさらに申し訳なさそうに下げて謝った。由貴は彼女の言葉
を聞いて信じられないというように目を剥く。
「なにそれ!ひどい決まりね、そういう理不尽な規則ってあたし大嫌い!」
女官は先程紫炎が見せた表情とやけにそっくりな顔で由貴を見たが、由貴の髪から手を離すと優雅に一礼し
た。他の女官たちも彼女に倣う。
「役は宮巫(ぐうむ)、位は青、青宮巫(せいぐうむ)とお呼びください」
「鈴麗っていうのは字なの?」
由貴の問いに、青宮巫と名乗った女官は素早く顔を上げて驚いたような顔をした。
「え、えぇ」
「じゃぁ貴女のこと、鈴麗って呼んでいい?」
「と、とんでもない!」
女官は畏れおののいた様子で再び深々とこうべを垂れた。
「そんな親しげにお呼び戴くわけには参りません!貴女様の品位が損なわれます!」
由貴はややうんざりした表情になった。ここの格式張った礼儀作法にはそろそろ嫌気がさしていた。
「あたしはただ、気軽にお喋りしたいだけなんです。まだここに来たばかりだっていうのに、紫炎や惣玲さんは
難しい話ばっかりするし」
「そ、惣皇殿を字で…!」
 気だるげな由貴の言葉に、女官は目を見開いて驚愕したが、すぐに意を決したようにうなずいた。
「惣皇殿を字でお呼びになる方に、私のような輩が役職名で呼ばれるわけには参りません。どうぞ、お気に召
す名で私をお呼びください」
 女官の突然の気変わりを疑問に想ったものの、由貴は素直に笑みを浮かべて女官を見た。
「ありがとう、鈴麗。さっそく質問なんだけど」
由貴は周りで手に手に衣服や装飾品らしきものを持って、せわしなく動き回っている他の女官達を見た。
「みんな一体なんの準備をしてるの?」
「それはもちろん貴女様のお召物でございますよ。"宴"に御出席されるんですもの。それなりの格好をなさら
なければ」
「宴!?」
予想もしなかった答えに、由貴は不安げに鈴麗をみた。そういえばさっき紫炎も宴がどうとかと言っていた気
がする。鈴麗は由貴の反応に意外そうな顔をすると、さりげなく小首を傾げてみせた。
「お聞きになりませんでしたか。今日貴女様をお迎えする宴が催されるのです。この宮殿の重役方と巫女し
か出席を許されていない、厳粛なる宴でございますよ」
まるで喜ばしいことのように笑顔で鈴麗は言うが、由貴はしばし絶句した挙げ句叫んだ。
「そ、そんなの聞いてないわよ!」
「大丈夫ですよ、貴女様はお客人ですもの。こちらの用意した催し物を黙って御覧になっていればあっという
間に終わりますわ」
安心させるように鈴麗が言っても、由貴は不安を拭えなかった。まだここに馴染んでないというのに、見ず知
らずの大勢の前に出るなんて冗談じゃない。
しかし、自分が何をいってもその決定を変えることはできないと悟った由貴は、なるべく宴のことは考えないこ
とにして、由貴の髪を掴もうとした鈴麗の手から逃れた。
「ねぇ、その宴までまだ時間ある?」
「えぇ、宴は夕刻に催される予定ですから。しかし、お召物の試着をなさって戴かないと…」
「そんなの後でいいじゃない。それよりも」
由貴はふいにすっくと立ち上がると、期待に満ちた眼差しを訝しげな女官に向けた。
「ちょっと外に出てみたいの。あたしにこの創霞国の景色を見せてちょうだい」





















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